文法というツールを使っての論理的な英語の構成は面白かった。
それ以降、単語の順序の理論性に非常に関心を持つようになり、英作文を適当に作ってみることもよくやっていた。
生徒によく言うが、会話は全文英作である。親父は文通相手の方と出会うことはなかったが、いつかどこかで逢ってみたいという気持ちはあっただろう。その際にどう会話をすべきだろうかと考えただろう。そんなことを想像しているといつの間にか主人公が親父でなく私自身に投影されていて、「英語はゼロから全文を一気に書けないと実際には使えない」と思ってやってきたと思う。
中学の英語で忘れられない間違いが3つある。
まず1つめが、長文中のHe said ( ) himself.
反射的にtoを入れたのだが、確かめをしていると、「~に向かって」の意味だから、atではないか、という邪心が生じて、結果的に迷った末、間違えてしまった。
2つめが、He shook ( ) with Jane.
ジェーンと握手をするのでhand、いや二人の手だからhandsか。あれ、相手の「手を振る」のだからhandか、などと混乱をきたして結果アウト。Make friends with, change trainsなどの『相互複数』の考え方を教えてくれた先生は、この先にも後にも誰もいない。
3つめは高校入試の本番。 Kenta ( ) two brothers.
何も急いでいたわけでもなく、疑問も感じずにhaveと入れた。確かめを2回くらい入れているが見つけれなくて、その日の解答発表のTV放送を見て愕然としたのを覚えている。このような三単現の間違いを中学生活で犯したのは、たぶんこのときが唯一であったろう。
こういうミスを覚えているのも、かなり英語にこだわりを持ってきた結果といえるかもしれない。
最初の2つはいずれも塾内での実力試験でのミスである。
塾のテストは成績上位者が貼り出されるが、別な教室から上位常連の子も自然に覚えた。
その子達と、実際に高校に入ってから会えた嬉しさであったり、またその子が私の名前を聞いて、「あ、きみが。。」と微笑んでもらえた時、その頃が私の人生のピークだったかもしれない笑。