気まぐれコラム
小学校も高学年になると、親が普段行っている行動もそれとなく認識し始めていく。
母は自営で化粧品事務所を経営しており、大変に多忙でありながらちゃんと僕らに食事を与え、おやつを買ってくれ、学校に行かせてくれた。
父は昭和1ケタ生まれの一見厳格な頑固親父、であったが僕ら兄弟には優しかった。
父はカードゲームを愛し、漢字を実に良く知っており、TVのクイズ番組で二人の息子と競うのを楽しんだ。
母は学校でも首席で先生から答案の採点を頼まれるほどの成績だった。本が読みたくて読みたくて、ただ祖母から「女なんて勉強してどうなる!」と常に言われてるがため、深夜懐中電灯で自分の布団の中に入り、ひそかに学校で借りてきた本を読んでいたという。
この二人から「勉強しろ」だなどと言われたことは一度もなかった。
父は月一回英字新聞を定期購読していた。
父の使う辞書は何度使ったかと思うくらいボロボロで、ところどころセロハンテープで補強されていたがそのテープでさえ茶色に劣化してるほどの年季だった。
フィラデルフィアとかいうアメリカの都市に住んでいるご婦人と以前文通をしていたこともあったようだ。
親父は晩酌つきの夕食を終える(うちの夕食は17:30くらいで早めだった)と、それほど酒には強くないため必ず小一時間ほど転寝をし、その後フロに入って日記を書きながら家族で談笑し床に就く、という毎日だった。
こういう毎日の中で、私が「英語」と「漢字」と「日記」を日常に取り入れるのは、極めて自然なことと言えた。
親の背中を見て、自分で考えて行動する。
「習慣」を作り上げることが、自分の素養や技量を向上させることにつながる。
英語は地方の公立中のレベルだから、難しいことや躓いたことはほとんどなかった。
井手塾という英語塾に通っていたが、その先生は(私が英語に関心を持っていたからであろうが)最もわかりやすい教え方をしてくれたのもある。特に、「名詞」「形容詞」「副詞」がどういうものであるか、恥ずかしながら私はここで初めて知った。小学校の国語の授業でとうに教えられているはずのものであったのだが。